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ジブンライフ

「自分らしい人生」をテーマにライフハック、オピニオン、マネジメント、時事ネタなど自由に書いています。

死後の世界はあると思っておいたほうがお得らしい

スピリチュアル 生き方

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死後に意識があるかどうかは話題になることもある。

痛いニュース(ノ∀`) : 生き返った人の39%が「死後も意識はあった」と証言 - ライブドアブログ

タイトルからしてうさんくさいと思う人もいるかもしれないが、死後の世界があるのだといいたいわけではない。

死後の世界が実在するかどうかに関わらず、あるだろうなと思っていた方がずっと合理的だという話である。

この主張は、元福島大学教授飯田史彦氏の著書『生きがいの創造』で述べられているものであり、元大学教授らしく極めて論理的に説明されている。

死後にも意識があった場合、否定論者は自分の誤りを知るが、死後に意識がない場合、肯定論者は自分の誤りを知ることはない*1

死後にも意識があるか、ないか

死後の世界に有無に関しては、「死後にも意識があるか、ないか」のどちらかで判断されることになる。

このときに、とりあえず死後にも意識はあるだろうと思っていたほうが、あらゆる場合において優位な立場に立つことができるという。

その優位は「意識があったときにしか答えを認識できない」という点によって生じる。

死後の世界がない場合

死後の世界がなかった場合、死後の世界肯定派も否定派もそれを認識することはできないということになる。

意識がないのだから、否定派が肯定派に対して「それみろ、やっぱり死後の世界なんてないじゃないか、バカらしい」と言うことはできない。

つまり自分の主張が正しかったことを証明したり、勝利を味わったりすることは不可能だということだ。

 
それに対して、肯定派は意識がないため「ああ、自分の考え方は間違っていたのか」と後悔することはない。

肯定派は最後まで死後の世界があることを信じたまま、人生を終えることができる。これは希望に満ちた最期であるといえるのではないだろうか。

かりに死後にはなにも残らなかったとしても、本人は最後まで、死後の生命やスピリチュアルな仮説を信じて、大きな希望を抱きながら、夢いっぱいで人生を終えることができるのです*2

死後の世界がある場合

死後の世界があった場合、否定派は「まさかそんなものがあるなんて」と驚くことになる。

そして「ほらみろ、やっぱりあったじゃないか」と肯定派に言われてしまう恐れもあるだろう。

否定派は明らかな証拠が示された以上、否定派間違いを認め、反省せざるを得ない

しかも人生の最期は、多くの場合不安や後悔に包まれながら迎えることになる。

もちろん肯定派が大きな幸せを感じるであろうことは間違いない。

肯定派の優位

以上のように、死後の世界の有無がどうであろうとも、肯定派は幸福感を得ることができ、逆に否定派が得をするということはないということがわかる。

そのため、飯田氏は、肯定派のほうが《戦略的に「絶対優位」の立場になる》と述べている。

死後の世界があるかどうかは、大きな問題ではない。ただなんとなく「あるんじゃないの?」くらいに思っておくのが、一番幸せな考え方かもしれない*3

 
ぼくは宗教を信仰しているわけでもないし、死後の世界を強く信じているわけでもない。ただ、なんとなくあったほうが楽しそうだから、あると思っておこうと考えている。

特定の宗教を信仰していない方も「あるかも」と思っておくといいかもしれない。心のなかでそれとなく考えるだけならば損はないし、むしろ幸せに繋がるという大きな得があるかもしれない。

このように、スピリチュアルな仮説については、真理として認めないかは別にして、個人的な価値観として活用しながら生活するほうが、心理的にさまざまな利点があると考えられます*4

『生きがいの創造』のおもしろいところは、こうした概念が本当かどうかに関わらず、それを利用することで豊かな人生を送れるという考えを持っているところだろう。

*1:飯田史彦(2012)『生きがいの創造』 PHP文庫 p.624

*2:同上 p.624

*3:なお、本書では自ら人生を終えた場合、"ちゃんと"生まれ変わることができなくなると主張しており、今の人生を精一杯生きることは必要不可欠であるとしている

*4:飯田史彦(2012)『生きがいの創造』 PHP文庫 p.627

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