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ジブンライフ

「自分らしい人生」をテーマにライフハック、オピニオン、マネジメント、時事ネタなど自由に書いています。

自由な時間を「必死」に確保しても意味がない。自由と効率化の相性が悪いとき

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自由な時間をたくさん持つことは素晴らしいことです。

ですが、それを必死になって確保する人が多くなっているように思います。

「自由な時間を求めるのはなぜなのか」ということを忘れ、とにかく必死に物事を短時間で効率的に成し遂げようとするのは、本当に好ましいことでしょうか

今回は自由な時間と、時間を短縮する手段としてあげられることの多い「早起き」と「速読」についてお話したいと思います。

自由な時間とは「ゆったり」したものである

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多くの人が自由な時間を得た自分を想像したとき、なにもせずに「ゆったり」と過ごしている自分の姿を思い浮かべるのではないでしょうか。

人が自由な時間が求める理由は、常日頃から時間に追われるような生活を続けているからです。

ですから、時間に追われることのないような時、人は自由だと感じます

必死に手に入れた時間に意味はあるのか

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ときどき、そんな自由な時間を必死に確保する人があらわれます。

物事を効率的に短時間で終わらせ、なにもすることのない時間を確保する人です。

確かにそうすることで、そのあとに自由な時間が生まれます。しかし、その時間を手に入れるためには「必死」にならなくてはいけない場合もあります。

「ゆったり」とした自由な時間を手に入れるために、「必死」になって物事を終わらせる

この点において、どこか矛盾を感じませんでしょうか?

早起きの罠

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「早起き」すると寿命が縮む!オックスフォード大学の研究で判明 ~心筋梗塞、脳卒中、糖尿病のリスクが倍増 | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]

「早起き」は体に悪いという研究結果を英オックスフォード大学の睡眠・概日リズム神経科学研究所の名誉研究員、ポール・ケリー博士が発表しました。

睡眠は未だに解明できていない点が多いため、この研究結果を鵜呑みすることはできませんが、非常に興味深い研究です。

また起床後の活動開始時間は青年期11時、壮年期・中年期10時、高年期は9時が最適だと分かっています。
この数値を見れば明らかなように、すべての年齢層の人に言えることは、6時よりも前に起床することは人間として本来あってはならないということです*1

必死に早起きをするべきではない

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早起きをして、朝時間を活用しようという人がいるように、早起きは自由な時間を確保する手段として認知されています(朝4時起きなど極端なものもあります)。

仮に早起きが体に悪いのだとしたら、わたしたちは早起きをするべきでしょうか。

朝は起きるのは辛いし、集中力も落ちる。それでも「必死」に起きて、なにかをすることに意味はあるのでしょうか

またそんな時間を本当の意味で「自由な時間」と呼べるとは思えません。

体内時計は身体のあらゆる部位に存在します。例えば脳の視交叉上核という場所に体内時計が備わっていますが、早起きすることによってこれがズレてしまうと、著しく脳の機能が低下します。すると集中力や記憶力、コミュニケーション能力などが著しく減退してしまうのです*2

 
早起きが得意で、無理なく起きれるように体を調整していくならば何の問題もありません。

しかし、もしいま「必死」に時間を確保するために早起きをしているのであれば、そのあり方を見直す必要があります

 
もっとも、上記の研究結果が真実なのであれば、早起きをして時間を確保しても早死する可能性が高くなるということですから、本末転倒ということになるかもしれませんね。

速読にある違和感

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一時期「速読」がブームになりました。

短時間で本を読むというテクニックで、信じられないほどの速さで読み終わり、内容もちゃんと把握しているといいます。

もともとは時間がないものの、本を読んで知識を得なければならないという忙しいビジネスパーソンのために紹介されたものです*3

しかしその効率性に惹かれ、それほど忙しくもない多くの人が「速読」をできるようになりたいと思い、ブームになりました。

なぜなら本を短時間で読むことができれば、自由な時間を確保することができるから。

自由な時間のための速読は矛盾していないか

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しかし、自由な時間のために「速読」をすることにぼくは疑問を覚えました。

ぼくにとって本を読むという行為は至福の時間であり、本を読むことこそが自由な時間に行うべきことなのです

静かな部屋で、好きな飲物を飲みながらゆっくりと本を読む。本そのものだけでなく、そうした行為にも価値を感じていました。

必死に確保する「自由な時間」に意味はない

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一般的に、本は自発的に読むものであるはずです(本を読まなければいけないという立場の人は除外して考えます)。

それにも関わらず、それを必死に速読し、自由な時間を確保することに意味があるでしょうか。

確かに、浮いた時間で他のことができるかもしれません。もう一冊本を読むことができるかもしれません。

ですが前述したように、本来自由な時間というのは「ゆったり」したものであるべきではないでしょうか

 
本を素早く読み、他のこともして、効率的に物事に取り組んでいく。それを自由な時間といえるかどうか、考えなければいけません。

効率化は時間をもたらしてくれるかもしれませんが、それが必ずしも「ゆったり」としたものとは限らないのです。

まとめ:自由な時間とはなにか

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効率化によって私たちの生活は豊かになりますが、それを必死に追求することは、真の意味での自由な時間の確保にはつながらないのではないかという話をしました。

ぼくは自由な時間を得ることに大きな幸せを感じます。そのときに限っては、非効率なように思われる行動にも大きな価値を感じることができるでしょう。

前述したような本を読むときだったり、あえて遠回りして家に帰ってみたり。

効率化が進んでいる現代だからこそ、非効率なことの価値を見直す必要があります

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